権力王に俺はなる!藤原氏による貴族政治と壮絶な摂政・関白争い!

今回は藤原氏による政治を学んでいこうか。

たっつん
いわゆる「せっかん政治」ってやつだね。

まりも
折檻政治ですと!?

たっつん
なんで目輝かしてるんだよ!摂関政治だよ!

まりも
知ってるよ。摂政関白でしょ?それで藤原さんがその地位を独占して異様に権力ふるってた時代のことだよね。

たっつん
わかってるならとぼけないでよ。

藤原道長・頼通親子なんかが最盛期の人物として有名じゃな。「この世をば~」という短歌とともに紹介されることが多い。

まりも
それも知ってるよ。たいやきの気持ちを歌って大ヒットしたやつね。

たっつん
全然違うよ!自身の権力を満月にたとえて、「完璧だ」って詠んだんだよ。

藤原氏は大化の改新で活躍した藤原(中臣)鎌足を祖とする一族じゃ。鎌足の子、不比等(ふひと)は法典を整備するなど、政権下で才覚を発揮した。

たっつん
一方で娘を天皇に嫁がせ、生まれたその子(後の聖武天皇)にも別の娘を嫁がせて、皇族の中心を自身の血統で染めていったんだ。

まりも
やりすぎでしょ笑

たっつん
これ以来、政略結婚が藤原氏の常套手段になっていくんだ。

不比等の死後、その子である武智麻呂・房前・宇合・麻呂4兄弟は皇族らとの権力闘争に勝利し、政権の中枢を担った。

まりも
一番上の武智麻呂は弟思い、一番下の麻呂は兄さん思い。房前は自分が一番なんだよね。

たっつん
だんご3兄弟じゃないんだよ!あと宇合を無視するなよ!

まりも
いいよ、読み方わからないし。

たっつん
うまかい」だよ!確かに目立たないけど。。。

4兄弟は流行病で次々に病死し、今度はそれぞれの子どもたちと皇族に近い家臣たちや天皇の間で主導権争いが繰り広げられた。

たっつん
70年ほどの争いがあった末、房前の家系(藤原北家)である藤原冬嗣が出世を果たし、その子である良房が、家臣として初めての摂政となったんだ。

まりも
実は日本人で初めて騎乗位を導入したのも良房なんじゃないかって研究もあるんだよね。

たっつん
ないよ!誰が調べるんだよそんなの!

まりも
というか摂政ってなによ。偉いの?

摂政というのは、天皇の代わりに政治を行う者のことで、天皇が幼少だとか重い病気だとかで政務を行えない場合に置かれるんじゃ。

たっつん
聖徳太子をはじめ、皇族が摂政になることはそれまでにもあったんだけど、それ以外の家臣(人臣)では全くの初めてだったんだ。天皇の代わりだから権力は天皇と同等だったわけだよ。

まりも
良房のやつ、キャバクラで「摂政:藤原良房」っていう名刺見せびらかしてたって噂になってたよ。

たっつん
そういう次元の話じゃないんだよ!

良房はお家芸の政略結婚で天皇との結びつきを強め、清和天皇の祖父として政権に君臨し、その地位を築いたんじゃ。

たっつん
そして良房の子(養子)、基経は良房に続いて摂政となった後、新たに関白という職を得て権勢をふるった。

まりも
はいキター、関白。さらに意味分からない。

摂政が天皇の「代理」で政務を行うのに対し、関白は天皇から「委任」されて政務を執り行う官職なんじゃ。

たっつん
教科書的に言うと、天皇が幼少時は摂政として、成人後は関白として権力を振るうって感じだね。

まりも
そしてベッドの中ではワンパクとして腰を振るう、と。

たっつん
なんだよそれ!「腰を振るう」って、もはや日本語おかしいだろ!なんでちょっとドヤってんの!

冬嗣・良房・基経の3代に渡って権力を保持したことで、藤原北家の地位は確固たるものになり、これ以降、明治維新に至るまで公家の世界で中心的な役割を果たしていくことになる。

たっつん
そして、基経から数えて4代後の道長は一族内での権力争いに勝利し、左大臣となった。この段階で既に対抗する勢力はいなかったんだけど、娘3人を天皇に嫁がせ皇后に立てるなど、さらに地位を向上させたんだ。

まりも
もうラスボス倒せる強さなのに、さらにレベル上げして楽しむヤツみたいな心境なのかな。

たっつん
まあ、それは割とそうかもしれない。(笑)

実際、道長が摂政の地位に就いていたのは1年くらいで、関白になる前に引退し、息子の頼通に地位を譲ってしまったんじゃ。

たっつん
結局道長は引退した後も実権を握ってたんだけど、そんな完璧なレールの上にいた頼通は50年もの間、摂政・関白として権力を握ることができたんだ。

まりも
道長・頼通がハンパなく偉くなったのはわかったけどさ、結局何をしたのさ?

寺を…建てたのう。

まりも
それだけ!?

たっつん
それだけじゃないんだけど、有名なのはソコだよね。特に頼通が建てた平等院鳳凰堂は10円玉でもお馴染み。

あとは文化人を積極的に支援したことも一つの功績じゃな。源氏物語で有名な紫式部も、道長の長女で皇后だった彰子に仕えた人物だったんじゃ。

たっつん
道長が源氏物語の大ファンで、発表前の原稿を読ませてもらおうとして紫式部のところにコッソリ通っていたという逸話があるくらいなんだ。

まりも
きっと「なぁ、俺出してよ!」とか強要したんだろうね。

たっつん
強要はしてないと思うけど。そもそも光源氏のモデルの一人が道長らしいし。

そんな栄華を極めた藤原氏であったが、頼通が嫁がせた娘たちはついに男子を産むことができなかったんじゃ。

たっつん
藤原氏と関係の薄い後一条天皇が即位してからは影響力が低下し、次第に摂関職は名誉職的な位置付けになったんだ。

そして政治は上皇による院政へと移行していったわけじゃ。

まりも
ピークからの転落は早いもんだね。

たっつん
確かに、国を牛耳るような力は頼通以降なくなったんだけど、これ以降の貴族社会の中で藤原氏は中心であり続けたんだ。

まりも
たいやきくんの記録も未だに破られてないしね。

たっつん
だからたいやきくんとは関係ないってば!

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